2016年10月8日土曜日

逸材@ミスiD【3】


noodleと茂木雅世という逸材を見つけ、気付けば私はすっかりミスiD2017ウォッチャー(遅咲き)に。家にいてPCを開いている時は、彼女たちのツイッターを定期的に覗きに行くようになってしまった。。
(会社のPCからは見ない、真面目だから。携帯からも見ない…ガラケーだから orz)

そんな毎日を過ごしていると、ある日、noodleのツイッターにこんな言葉を発見した。

「ゆっきゅん最強説」

noodleのツイートなのか、誰かのツイートをnoodleがリツイートしたものだったのか、はっきり覚えていない。ただ、その言葉を見て、私はミスiD2017ファイナリスト一覧の中に、確かに「ゆっきゅん」という名前があったことを思い出した。その人の写真を見た時に芽生えた「男?」という違和感も。

noodleに「最強」という印象を与えているらしき存在、ゆっきゅん。やはり確認すべきだろう。私はミスiDオフィシャルサイトを再訪した。
小さなサムネイルしか見ていないが、いわゆるドラァグクイーンなんだろうか…いや、そこまでケバいメイクはしてなかった。性同一性障害ってこと? 女装するのが好きなだけの男性? いずれにしても、身近にいない(またはいても気付かなかった)未知の存在。
ファイナリスト一覧をスクロールしている時の自分の気持ちに一番合う言葉は「怖いもの見たさ」だった。
絶対「わー可愛い子発見ー♪」だけでは終わらないだろうな、という予感がした。

【逸材3 ゆっきゅん】


出典:https://miss-id.jp/nominee/2698

「チャームポイント:性」!? 言い切ってる…読んでて気持ちいいほどに。
周囲と違う自分の性のあり方に恐らく葛藤があったのではないかと思うが、そういうものもエンターテインメントに昇華してる、少なくとも昇華しようとしているってことなのかな、と感じた。
ライブ活動、モデル、演劇、写真集・ZINE・グッズ制作…活動内容は完全にアイドルだ(映画を研究している大学生という顔もあるけど)。歌って、踊って、楽しませることをライフワークにしている人だと分かり、ハードルが下がった感じがあった。あ、この人には関わって大丈夫なんだ、という気持ち。ブログで記事にしても大丈夫そう、という安心感。
「社会活動じゃなくて、ジェンダーについて訴えたいわけじゃなくて」と言ってるところも、個人として見てほしいという気持ちがありそうで、いける気がした。

同性愛者でもなく、心と体の性の乖離も特にない私は、「セクシャルマイノリティの声を聞いてほしい」みたいな真面目なインタビュー記事を読んでいると釈然としない気持ちになることがある。
こういう記事は、当事者が語る社会の無理解→理解を広げてゆきたい→個々の違いを受け入れる大らかな社会を作ろうぜ、という流れで展開するのが鉄板だけど、セクシャルマイノリティの人の辛い体験談を読む度に、結局この人はどうしてほしいんだろうか、私はこういう人に出会った時にどうすればいいんだろうかという疑問&不安が芽生えて、そういう人を理解するためにインタビューを読んでいるはずなのに、読み終えてもモヤっとしたものが残る。

その疑問をもっと具体的に言うと、いわゆるセクシャルマジョリティに対するこの人たちのスタンスは、「分かってくれないなら関わらなくていい」なのか「分からないからといって壁を作るのではなく、関わってほしい」なのか? ということだ。
もちろん「セクシャルマイノリティ全体の見解」というものがあるわけではなく、関わってほしい人もいれば放っといてほしい人もいるだろうし、関わりを求める気持ちと遠ざけたい気持ちの間で揺れ動いている場合もあるだろうし、スタンスを一つに決めろというのも無理な話だとは思うけど。
でもこちらとしては当事者ではない以上、セクシャルマイノリティの気持ちを完全に理解することができるわけはなく、従って関わりを持てば当然どこかで自分の無理解が露呈し、相手を傷つけるリスクを負う。傷つけてしまえば、私は「セクシャルマイノリティに対する理解を欠いた、差別的な人間」ということになってしまう。怖い。関わると大変そう…「分かりもしないのに近付くのはやめた方がいいな」という気持ちが、私の中には確実にある。

しかし、ゆっきゅんはアイドルであり、エンターテイナーだ。「ライブ来てね」「楽しい時間を共有しましょう」という方向性で活動しているのを知って、自分と関わってくれていいんですよというスタンスがあるように感じた。そして「ポップアイコン」になることを目指して人前に出る姿勢からは、マジョリティの無理解に傷つく覚悟もできている印象を受ける。
しかも、セクシャルマイノリティを代表してどうこう、という意識はないことを明言している。もしゆっきゅんがセクシャルマイノリティの代弁者として登場していたら、「ゆっきゅんの否定=セクシャルマイノリティの否定」みたいな構図が生まれ、セクシャルマジョリティの中には「差別的だと思われないためにはこの人を応援しておかないとね」みたいな空気ができるだろう。しかし、恐らく、ゆっきゅんはそういうものに頼りたくないと思っているのだ。一人のアイドル/エンターテイナーとしての魅力を純粋に評価してくれよ、という気持ちで、ミスiDにエントリーしたのかなと思う。

ああ、きっと私でも、関わっていいんだな。「この人、気になる」ってブログに書こう。的外れな記事になるかもだけど。気付かずに傷つけること書くかもしれないけど。その時はすみません。

あと、自分の世界を持っている人だというのをプロフィールから感じたことで、関わりやすさ&親しみやすさがさらに増した。
乙女のカリスマ・嶽本野ばら、私も好きだ!! 「ミシン」に収録されてる「世界の終わりという名の雑貨店」の、端正な文体で綴られる半端者同士の悲恋、異次元の切なさだった。「下妻物語」も、ヤンキー&ロリータの美意識とギャグの融合がいいよね。あれ読んだのもう10年以上前だ。。。最近の作品は追えてないけど、久々にチェックしたくなる。

そして、動画。

ショートコントと歌&ダンスに、ゆっきゅんのエンターテイナー魂を感じる。
台詞を忘れても、堂々とiPhoneを見てしっかり笑いをとっている辺り、やるなぁと思う。
そして批判性&批評性を持ち合わせているところにときめく!!
ゆっきゅんは、コントの中で男・女・ゆっきゅんの三役をこなす(笑)。女に扮するゆっきゅんの、以下の台詞に激しく同意。

「女の子であることとアイドルであることが同時的だなんて」
「全男性は全女性の審査員じゃないのよ、勘違いしないで」

凄い。女の生きづらさを、こんなに深く理解してくださるとは。そうなんだよ、女は、男からの評価に翻弄され、時にはどう評価されるかで人生まで変わってしまうという理不尽さを、ことあるごとに感じてるんだよ。

でもその後に登場する、コントの役としてのゆっきゅんは言う。「君の苦しみを体験することはできない」。ゆっきゅんにとっては、それすらも羨ましいってことなのだろうか(そうでもない?)。
ゆっきゅんの台詞は続く。「自分はオンリーワンすぎた」「人と比べて評価されることがなかった」「それは強さでもあって弱さでもあったのだ」「立場に甘えることができた」…。自分を冷静に見つめる眼差し。単なるエンタメを超えた、含蓄ありすぎな発言。
楽しませつつ考えさせるという、けっこう高度なパフォーマンスに驚き。

「比べて並べられて評価されていく、その地獄に憧れていた。苦しみたかった。経験したかった」

女が抱える生きづらささえも、ゆっきゅんにとっては「経験したい」ものなのか。そんな風に思われてるなんて、こっちは想像もしなかったよ。

そして、話し終えた時に浮かぶ、はにかみ笑いが可愛い…
こういうのを見せられると、もう、男とか女とか、どうでもいいね、という気持ちになってくる。
頭の良さとエンターテイナーの才能がある上に、作られた可愛さじゃない自然なチャーミングさまであるのか、アンタ。
私は謎の敗北感を覚えているよ。もー。

新しい世界を見せてくれるゆっきゅん。やはりこれは、逸材。
これから注目していこうと思う。

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