2016年12月31日土曜日

渡辺との運命的再会



ご無沙汰しております。生きてるよちゃんと。

ばたばたしているうちに、ミスiD2017が終わって2か月近く経ってしまった…!
見事グランプリに輝いた武田杏香さん、おめでとう(今更)。「私は死ぬところを誰にも見られたくない」って言葉、凄いね。17歳なのに。
E-girlsを辞めていなかったら、そういう美意識も、死について考えてしまうような部分も、グループのカラーに埋もれて見えなくなっていたかもしれないんだよなぁ。どうかそういう、得体の知れない美しさが生きる場所を見つけて、自分のやり方で輝いてほしいです。
グランプリに限らず、どの子にもそれぞれの歴史があって、物語があって、終わった後もサイトを見に行きたくなる。
楽しませてくれてありがとう。というか引き続き楽しませていただきます。

自分の話に戻ると、ここ2か月間は色々あった。土日はブログを書く代わりに、大学の同窓生新聞の記事やらなんやらをボランティアで書いたり、写真教室に行ったり、遂にガラケーからiPhoneにしたり、私なりに活動していた。

そんな中で、心底感動したことが。

その日、私は渋谷の本屋をぶらぶらしていた。確か眼科でコンタクトを買って、帰りに寄ったのだと思う。別に目当ての本があったわけではなく、アートブックや綺麗な雑貨が充実してるその店の空間に浸りたかった。
入口に近い棚から順番に見ていくと、『港の人』という小さな出版社の本を特集した棚に行き当たった。リトルプレスかぁ。『ミシマ社』ぐらいしか知らないけど、色々あるんだなぁ…。棚の本はどれも装丁のセンスがよく、こだわって作られている感じがする。気になったものを手に取ってめくったりしつつ眺めていたら、ある本のタイトルがバシッと私の視線を捉えた。

『渡辺のわたし』


あ、これ知ってる…。
読んだことはなかったが、十年ぐらい前に枡野浩一の短歌にハマっていた頃、この歌集の存在を知った。作者の斉藤斎藤の短歌が何かで紹介されていて、ユーモラスだけどドライな、無感動なのに妙な余韻のある作風が面白かったので、ちゃんと読んでみたいと思いつつそのままになっていた。
その歌集はネットでしか買えなかったのだが、私が存在を知った頃には発売から数年が経っており「まだ売ってんのかなぁ?」という不安から購買意欲がいまいち盛り上がらなった。しかもその後は就職活動なんかで心に余裕がなくなってしまい、短歌とか文芸書の類からどんどん遠ざかっていったのだった。

しかし、その渡辺が今、手に取れる姿で、私の前に現れた。
凄い。こんな風に、また出会い直せることってあるんだね。よかった…私に余裕がある時に来てくれて…渡辺、一緒に帰ろう。私は棚から渡辺を一冊掴み、レジに直行した。渡辺の表紙には「新装版」とあった。

帰宅後、渡辺を読み始める。
かつて見た記憶のある、ドライかつ脱力感溢れる作品が並ぶ。


お名前何とおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斉藤とする

「斉藤のほう只今外出しております」におけるほうのような斉藤

「斉藤さん」「斉藤君」とぼくを呼ぶ彼のこころの揺れをたのしむ

骨の髄まで冷やされてはつなつのマクドナルドのトレイを戻す

うなだれてないふりをする矢野さんはおそれいりますが性の対象


存在感のなさを主張する存在・斉藤の、謎の存在感。
主張するぞ! という意欲がめちゃくちゃ薄いのに、なんか心を掴まれる。
スーツをはだけながら「斉藤さんだぞ?」と言ってキメ顔するあの人とは対照的だ。

しかし読み進めてゆくと、彼の生い立ちに迫るような作品の中には、切なさや淋しさ、母への感謝といった「エモい」要素が見え隠れしていた。

立場上ひろわずにいられなかった骨のおもさを思い出せない

父さんはいわゆるひとつの母さんをいわゆるもう一つの母さんに

リトルリーグのエースのように振りかぶって外角高めに妻子を捨てる

行楽地に行った事実に気をゆるめひとりずんずん帰る父さん

とうさんがかさんをなぐる。なぐる。なぐる、とうさんはかあさんをなぐる

母さんがわたしのほうへなんなの、なんだったのと息をした朝

「本読めてしあわせもんやおまえのころ母さんいっつも畑に出てた」

俳句でもやってみたらと勧めたら母さんふとんを叩きに行った

母さんの神話にわりと忠実に生きるわたしは細部に宿る

渡辺のわたしは母に捧げますおめでとう、渡辺の母さん

蛍光灯がもったいつけて消えて点く きょうも誰かの喪が明けてゆく


 あまり具体的な説明はないものの、彼は、家庭を捨てた男性と後妻となった女性の間に生まれ、いわゆる複雑な家庭で育ったらしいことが分かる。↑の作品はあくまでも抜粋で、本当はもっと沢山歌があるので、気になる人は本編をチェック。
父親との心の隔たりや、恐らく働きづめで短歌や文芸への理解がない母を悲しく感じる気持ちがうっすら滲んでいて、彼のドライな表情の奥にある喜怒哀楽にちょっと驚く。

そして、歌人としての名前が「斉藤斎藤」なのに歌集の題が『渡辺のわたし』である謎の答えが、「渡辺のわたしは~」の一首だ。戸籍上の苗字は斉藤/斎藤だけど、「こころの姓」(性ではなく)は渡辺なんですよ、という意味に私は解釈した(違ってたら恐縮ですが…)。
斉藤の存在感のなさが生まれる背後にあったのは、「斉藤」と「渡辺」の狭間で揺れ動くアイデンティティだったのかもしれない。自分の居場所である家庭というものの不確かさ、あやふやさを日常的に感じていたことが、あの存在感のなさに繋がっているのではないか。

それ以外にも、恋愛に高揚する気持ちや、日々のささやかな気付き、心の揺れを特有のさらりとしたタッチで描写した作品が多数あった。

あなたあれ。あなたをつつむ光あれ。万有引力あれ。わたしあれ。

池尻のスターバックスのテラスにひとり・ひとりの小雨決行

笑顔から真顔へつづくだらだら坂に特に意味ないまばたきがある

キオスクの都こんぶのバーコードそういうものに君はなりなさい

しどけなく寝っころがって江戸川をながされてゆく春の自転車

「悪い人じゃあないんだけどね」「けどね」「ね」と笑うぼくらの足もとに床

ぼくはただあなたになりたいだけなのに二人並んで映画を見てる


渡辺の内面世界は思った以上に広く、深かった。
ここでは私の印象に残ったものをピックアップしてるだけで、これ以外にも素晴らしい作品が多々あるし、セットで読んで意味を成す連作もあるので、気になったら手に取ってみてください。是非に。
表紙の写真とか、新装版特有の要素も素敵。これからも折に触れ、本棚の渡辺を開こう。

でも、結局下の名前は教えてくれないままなんだよな…。


タカシ、って君が泣くから小一時間ぼくはタカシになってしまうよ


皆様、よいお年を。

2016年10月26日水曜日

続・逸材~ミスiDフェス未遂~


ミスiD2017、一般投票の1位が発表に。
藤田恵名さん、おめでとうございます!


ノーマークだった…
これからちゃんと動画見よう&歌を聴こう…

彼女の肩書きは「シンガーソングラドル」。
ミスiDというと、「サブカル系」「不思議ちゃん」「クリエイター」「アーティスト」みたいなカテゴリーに属する子が有利なのかなーと思ってたので、セクシー要素を打ち出してる子が選ばれたことが意外だった(ただ、↑のアーティスト写真は、GEORGE COXの靴を履かせたりしてサブカルに寄せてる感じするけど)。
この賞の掴みどころのなさが一層増すという、素敵な結果だなぁ。「傾向と対策」が定まらない感じ!!

とは言え、誰が1位になろうとも、私の推しメンが揺らぐわけではない。


ゆっきゅんin my room。
どうよ、このはにかみ笑い。もうガウンで抱き抱えるしかないよね。


noodle様。私の本棚、気に入っていただけましたでしょうか。
手前に見えるのは、イチハラヒロコの『雨の夜にカサもささずにトレンチコートのえりを立ててバラの花を抱えて青春の影を歌いながら「悪かった。やっぱり俺…。」って言ってむかえに来てほしい。』です。私が持っている中で、最もタイトルの長い本なんです。いかがでしょう。


茂木雅世師匠。お茶の素晴らしさを教えてくれてありがとう。
ほっと一息つく時間を、昔より大事にするようになりました。
ふわっとした佇まいのブロマイドにもリラックス効果があることが分かりました。「CHA」Tシャツの脱力感もいい。どこで売ってるんだろう。

だがしかし。

29日(土)のミスiDフェス、行けない…
この日は夕方から『ミス・サイゴン』を見る予定を入れてしまった…orz
結構前から行く約束してチケット取ったから、動かせないなぁさすがに。。
「ミス」まで同じなのに…!! 惜しい。

タイムテーブル発表前は、早めの時間にファイナリストと触れ合えるプログラムが入ってれば、フェス前半だけ見て途中で帰ろうと思ってたんだけど、今週発表されたタイムテーブルを見ると握手会の開始が6時過ぎ(T-T) うぅ。無理。
ブロマイド持っていってサインもらう夢がついえた…

でも、この三人は絶対、ミスiDフェスが終わった後もそれぞれの活動を続けていくはずだ。
チャンスを見つけて会いに行けばいいんだよね。私が。
こういう形で出会えたことが、すでに幸せなんだ! って思うことにします!

素敵な女性とか、素敵な生き方についての、それぞれの哲学に触れることができてよかった。
忙しさにかまけて「掃除めんどくせぇ」「洗濯めんどくせぇ」ってなりかけた時は、この三人のブロマイドを眺め、美しく生きる大切さを思い起こすことにしよう…


おまけ。謎のツーショット。

2016年10月8日土曜日

逸材@ミスiD【3】


noodleと茂木雅世という逸材を見つけ、気付けば私はすっかりミスiD2017ウォッチャー(遅咲き)に。家にいてPCを開いている時は、彼女たちのツイッターを定期的に覗きに行くようになってしまった。。
(会社のPCからは見ない、真面目だから。携帯からも見ない…ガラケーだから orz)

そんな毎日を過ごしていると、ある日、noodleのツイッターにこんな言葉を発見した。

「ゆっきゅん最強説」

noodleのツイートなのか、誰かのツイートをnoodleがリツイートしたものだったのか、はっきり覚えていない。ただ、その言葉を見て、私はミスiD2017ファイナリスト一覧の中に、確かに「ゆっきゅん」という名前があったことを思い出した。その人の写真を見た時に芽生えた「男?」という違和感も。

noodleに「最強」という印象を与えているらしき存在、ゆっきゅん。やはり確認すべきだろう。私はミスiDオフィシャルサイトを再訪した。
小さなサムネイルしか見ていないが、いわゆるドラァグクイーンなんだろうか…いや、そこまでケバいメイクはしてなかった。性同一性障害ってこと? 女装するのが好きなだけの男性? いずれにしても、身近にいない(またはいても気付かなかった)未知の存在。
ファイナリスト一覧をスクロールしている時の自分の気持ちに一番合う言葉は「怖いもの見たさ」だった。
絶対「わー可愛い子発見ー♪」だけでは終わらないだろうな、という予感がした。

【逸材3 ゆっきゅん】


出典:https://miss-id.jp/nominee/2698

「チャームポイント:性」!? 言い切ってる…読んでて気持ちいいほどに。
周囲と違う自分の性のあり方に恐らく葛藤があったのではないかと思うが、そういうものもエンターテインメントに昇華してる、少なくとも昇華しようとしているってことなのかな、と感じた。
ライブ活動、モデル、演劇、写真集・ZINE・グッズ制作…活動内容は完全にアイドルだ(映画を研究している大学生という顔もあるけど)。歌って、踊って、楽しませることをライフワークにしている人だと分かり、ハードルが下がった感じがあった。あ、この人には関わって大丈夫なんだ、という気持ち。ブログで記事にしても大丈夫そう、という安心感。
「社会活動じゃなくて、ジェンダーについて訴えたいわけじゃなくて」と言ってるところも、個人として見てほしいという気持ちがありそうで、いける気がした。

同性愛者でもなく、心と体の性の乖離も特にない私は、「セクシャルマイノリティの声を聞いてほしい」みたいな真面目なインタビュー記事を読んでいると釈然としない気持ちになることがある。
こういう記事は、当事者が語る社会の無理解→理解を広げてゆきたい→個々の違いを受け入れる大らかな社会を作ろうぜ、という流れで展開するのが鉄板だけど、セクシャルマイノリティの人の辛い体験談を読む度に、結局この人はどうしてほしいんだろうか、私はこういう人に出会った時にどうすればいいんだろうかという疑問&不安が芽生えて、そういう人を理解するためにインタビューを読んでいるはずなのに、読み終えてもモヤっとしたものが残る。

その疑問をもっと具体的に言うと、いわゆるセクシャルマジョリティに対するこの人たちのスタンスは、「分かってくれないなら関わらなくていい」なのか「分からないからといって壁を作るのではなく、関わってほしい」なのか? ということだ。
もちろん「セクシャルマイノリティ全体の見解」というものがあるわけではなく、関わってほしい人もいれば放っといてほしい人もいるだろうし、関わりを求める気持ちと遠ざけたい気持ちの間で揺れ動いている場合もあるだろうし、スタンスを一つに決めろというのも無理な話だとは思うけど。
でもこちらとしては当事者ではない以上、セクシャルマイノリティの気持ちを完全に理解することができるわけはなく、従って関わりを持てば当然どこかで自分の無理解が露呈し、相手を傷つけるリスクを負う。傷つけてしまえば、私は「セクシャルマイノリティに対する理解を欠いた、差別的な人間」ということになってしまう。怖い。関わると大変そう…「分かりもしないのに近付くのはやめた方がいいな」という気持ちが、私の中には確実にある。

しかし、ゆっきゅんはアイドルであり、エンターテイナーだ。「ライブ来てね」「楽しい時間を共有しましょう」という方向性で活動しているのを知って、自分と関わってくれていいんですよというスタンスがあるように感じた。そして「ポップアイコン」になることを目指して人前に出る姿勢からは、マジョリティの無理解に傷つく覚悟もできている印象を受ける。
しかも、セクシャルマイノリティを代表してどうこう、という意識はないことを明言している。もしゆっきゅんがセクシャルマイノリティの代弁者として登場していたら、「ゆっきゅんの否定=セクシャルマイノリティの否定」みたいな構図が生まれ、セクシャルマジョリティの中には「差別的だと思われないためにはこの人を応援しておかないとね」みたいな空気ができるだろう。しかし、恐らく、ゆっきゅんはそういうものに頼りたくないと思っているのだ。一人のアイドル/エンターテイナーとしての魅力を純粋に評価してくれよ、という気持ちで、ミスiDにエントリーしたのかなと思う。

ああ、きっと私でも、関わっていいんだな。「この人、気になる」ってブログに書こう。的外れな記事になるかもだけど。気付かずに傷つけること書くかもしれないけど。その時はすみません。

あと、自分の世界を持っている人だというのをプロフィールから感じたことで、関わりやすさ&親しみやすさがさらに増した。
乙女のカリスマ・嶽本野ばら、私も好きだ!! 「ミシン」に収録されてる「世界の終わりという名の雑貨店」の、端正な文体で綴られる半端者同士の悲恋、異次元の切なさだった。「下妻物語」も、ヤンキー&ロリータの美意識とギャグの融合がいいよね。あれ読んだのもう10年以上前だ。。。最近の作品は追えてないけど、久々にチェックしたくなる。

そして、動画。

ショートコントと歌&ダンスに、ゆっきゅんのエンターテイナー魂を感じる。
台詞を忘れても、堂々とiPhoneを見てしっかり笑いをとっている辺り、やるなぁと思う。
そして批判性&批評性を持ち合わせているところにときめく!!
ゆっきゅんは、コントの中で男・女・ゆっきゅんの三役をこなす(笑)。女に扮するゆっきゅんの、以下の台詞に激しく同意。

「女の子であることとアイドルであることが同時的だなんて」
「全男性は全女性の審査員じゃないのよ、勘違いしないで」

凄い。女の生きづらさを、こんなに深く理解してくださるとは。そうなんだよ、女は、男からの評価に翻弄され、時にはどう評価されるかで人生まで変わってしまうという理不尽さを、ことあるごとに感じてるんだよ。

でもその後に登場する、コントの役としてのゆっきゅんは言う。「君の苦しみを体験することはできない」。ゆっきゅんにとっては、それすらも羨ましいってことなのだろうか(そうでもない?)。
ゆっきゅんの台詞は続く。「自分はオンリーワンすぎた」「人と比べて評価されることがなかった」「それは強さでもあって弱さでもあったのだ」「立場に甘えることができた」…。自分を冷静に見つめる眼差し。単なるエンタメを超えた、含蓄ありすぎな発言。
楽しませつつ考えさせるという、けっこう高度なパフォーマンスに驚き。

「比べて並べられて評価されていく、その地獄に憧れていた。苦しみたかった。経験したかった」

女が抱える生きづらささえも、ゆっきゅんにとっては「経験したい」ものなのか。そんな風に思われてるなんて、こっちは想像もしなかったよ。

そして、話し終えた時に浮かぶ、はにかみ笑いが可愛い…
こういうのを見せられると、もう、男とか女とか、どうでもいいね、という気持ちになってくる。
頭の良さとエンターテイナーの才能がある上に、作られた可愛さじゃない自然なチャーミングさまであるのか、アンタ。
私は謎の敗北感を覚えているよ。もー。

新しい世界を見せてくれるゆっきゅん。やはりこれは、逸材。
これから注目していこうと思う。

2016年10月3日月曜日

逸材@ミスiD【2】


ネットサーフィンの果てに、ミスiD2017のサイトに辿り着いた私・水溶きかたくり子。ファイナリスト一覧の中に「noodle」という逸材を見つけ(前回の記事参照)、ファイナリスト&セミファイナリストを応援するアプリ「CHEERZ」へのリンクをクリックした私は、鮮烈な光景を目にすることに。

ぱちっと目を見開いた女の子の自撮り。目がデカく見える鉄板アングル、斜め上からの自撮り。小首を傾げた自撮り。全身写真の自撮り。「お洋服を買いに来ました」というコメント付きの、試着室からの自撮り。自撮りに次ぐ自撮りに次ぐ自撮り…大量の目がこちらを見つめている。
ミスiDでは、この「CHEERZ」上でより多くの応援を得ることが、選考上プラスとなる。写真の中では可憐な表情を浮かべる女の子たちだが、「少しでも沢山応援(CHEERZ用語で「チアチア」)してもらえるように、可愛く写らなくては」「他の子と差がつく写真にしなくては」という思いが当然あるんだろうな…。
目の前の自撮り写真一枚一枚が、何気ないプライベートショットを装った戦略的なPR写真であることを意識すると、何だか息苦しい。うう。

しかし大量の自撮り写真に紛れて、一枚だけ、緑茶の入った湯呑と急須を撮った写真があることに気付いた。人物は写っておらず、物だけ。
これは…「お茶の精」みたいなキャラなのか。
私は投稿者の名前を検索した。

【逸材2 茂木雅世】


「茶人」。まず肩書にビビる。
茶人と言われたら「千利休」しか浮かばないし、安土桃山時代特有の職業みたいなイメージがあったが、現代の、年齢が5歳も離れてない人(しかも女性)が「茶人」…! 自己紹介には「煎茶道を一生の仕事として選んだ」彼女の、茶への熱烈な想いが綴られている。同世代に、茶についてこんなに熱く語る人がいるんだ…ものすごく気になるので動画を見る。


中国の賢人が描かれた急須をゆるやかに回し、お揃いのちんまりした湯呑にお茶を注ぐ雅世嬢からは、アイドルオーディションという競争の世界を超越した穏やかな空気が漂っていて、心が和む。脇にある、竹っぽい素材の籠も素朴で可愛い。その辺で買えない道具が多い抹茶より気軽にできそう。
全国を回ってお茶を振る舞うのが仕事、と語る雅世嬢。全国各地を巡り、行く先々でお茶を淹れる…毎日PCに向かって仕事してる自分と比べると、なんかドラマチック&ファンタジックな感じがする(もちろん仕事である以上、辛いことだってあるとは本人も語っているけれど)。煎茶を通して、沢山の人に一時のリラックスを提供する人生って素敵だなぁと思う。

「○○道」とか言われると、決まりとかしきたりを間違いなく踏襲しなきゃいけない様式美の世界で大変そうなイメージがあったけど、人をどう和ませるのかを自由な発想で模索してきた過去の茶人たちのエピソードを語る雅世嬢を見ていて、茶の世界は私がイメージしているよりもっとクリエイティブな場なのかも、という認識が芽生えた。そして、茶の可能性への理解を広げるため「ミスiDへのエントリー」という奇策を考える彼女も、クリエイティブであるという点では先人たちに負けてないっす。

私にはアイドルを応援する習慣はないが、好きなバンドが出ているイベントに行った流れで何度かアイドルのライブを見たことがある。点滅するライトを浴びながら、大音量の曲に合わせて歌って踊る女の子たち。オタクたちは推してる子のテーマカラーのサイリウムを振りながら「サイバー! ファイバー!」「あーりん、あーりん、かなこぉー!」みたいな雄叫びを随所で挙げ、ライブが終わったら今度は物販コーナーでグッズを買い漁り、メンバーとチェキを撮ってもらう。熱狂と興奮を創り出すことで、見た人に元気を与えるというのが、いわゆるアイドルの仕事だと感じた。

しかし雅世嬢が創り出すのは、休息や無言のコミュニケーション。そうかぁ。目の前の人を元気にし、「明日を肯定的に生きられるように」なってもらう手段は、熱狂や興奮だけじゃないよなぁ…。そういう逆転の発想が凄いと思った。応援します。いつか彼女のイベントに行って、茶を淹れてもらいたい。あと、ユーチューブの再生回数、もっと増えていいと思う。

もちろんブロマイドも購入&定期的に眺めてます! 脱力感のあるルックスとポーズ、和む。

独断で選ぶ逸材シリーズ、ラスト一人はもう少しお待ちください…

2016年10月1日土曜日

逸材@ミスiD【1】


この度、3人の逸材を発見しました。

祝日が多かった先週、私は自堕落なネットサーフィンに耽っていた…ああ、朝ご飯で使った食器洗ってない…こんなことやってる場合じゃないんだが…と思いながらクリックを繰り返していたところ、ミスiD2017のサイトに流れ着いた。
あ、これは玉城ティナとか蒼波純とかを輩出した、一癖ある魅力を持った女の子を発掘するコンテスト。松居大悟監督の映画『私たちのハァハァ』に出てた真山朔ちゃんもこれ出身だよね。へー、今年のファイナリスト決まったのか。
面白い子いるかなーと思いながらサムネイルを眺めていると、ん? と思う写真がある。左斜め方向を向いた、眼鏡の子。こういうコンテストに敢えて眼鏡で参戦するのは珍しい気が。青いTシャツはいいとして、左腕がカラフルにデコられたギブスで覆われている。ギブスからは何故か数枚の短冊が垂れ下がっていて、手にはリカちゃん人形が握られ…何が起きているのか。サムネイルをクリックすると、強烈な自己紹介文が目に飛び込んできた。

【逸材1:noodle】


出典:http://miss-id.jp/nominee/2665

『最初に伝えておきますがわたくしnoodleは不美人です』…!! 驚愕。
しかしその下の、彼女が影響を受けてきた書籍や映画を見ると、私と被っているものがあり、ちょっと親近感。サムネイルでは分からなかったけど、ブルーのソニックユースTもお洒落。にしてもこの、左腕の短冊が…「脱構築」「わたしという名のたたかうサブカルチャー」って一体。誰か説明してくれ。必然的に約11分のPR動画をクリック。


11分後。私は嬉しい驚きがじわーんと胸に広がってゆくのを感じていた。何この逸材。凄いものに出会ってしまった。

再生ボタンをクリックした時、「アイドル媚びんじゃねぇ」「アイドルオーディションってクソだな」みたいな動画だったら嫌だな…という不安がよぎった。(確かにアイドルにありがちな、ひたすら男に都合のいい存在を演じる主体性のなさは私も嫌だけど、そういう存在になることで自己実現できる女と、それを応援して幸福を感じる男の価値観も尊重されるべきだと思うから。)
しかしnoodleは、遠慮がちな声で言った。「えーと、こんにちは…noodleです。今日、数か月ぶりにお化粧したら…」あ、謙虚な感じ。
noodleのあんまり大きくない声を聞いているうちに、これは凄いのでは、という思いが徐々に芽生えてきた。まず、女性が伸び伸び生きることへの社会からの圧力に対して自分が感じる違和感を、こういう場で発信する潔さ。でもそれ以上に、美しいものをいいと思ってしまう自分自身の価値観も自覚していて、それもしっかり口に出して言う率直さに打たれた。「自分を表現している女性を恋愛・性的欲求の対象として見るのは暴力だ!」とか「私は絶対に人を見た目で判断したりしない! 社会が間違ってるんだ!」ではなく、そういう社会を作り出している要因は実は自分の中にもあることを踏まえ、その上で何が女の子の幸せなのかを考える姿勢を見て、この人は信用できると思った。彼女の思考回路を辿っていったら、幸せになるヒントが見つかる気がする。

ちなみに、noodleが自己紹介文やSNSで挙げていた作品/場所のうち、私もいいと思ったものは以下の通り:
ゴーストワールド / 顔 / 明日また電話するよ / 弥生美術館 / Hara Museum Ark(←原美術館も、という理解)
しかも、行きたかったけど気付いたら終わってた展覧会に、noodleはしっかり行っていたりして、ちょっと敗北感。私の方が5年以上長く生きてるのに…orz
一応、自分はサブカル系だと思っているが、読んだ本や見た映画・展覧会の量では、多分勝てない。
「『ゴーストワールド』いいよね! 自分がアメリカに生まれたらイーニドみたいになってたんだろうな、って思ったー!」
「『顔』私も好き。藤山直美もいいけど、故・中村勘三郎(当時は勘九郎)、歌舞伎役者のオーラが完全に消えて、しょぼい浮浪者になりきってたよね。天才、神」
そういう話できたら楽しそう…できるのか分からないけど…

ミスiD2017のグランプリ発表は10月末。選考期間も残り1か月を切った。
noodleは左腕を療養する目的もあるのか(ギブスはファッションというより本当に治療中だそう)、実家のある岡山で静かに過ごしている…という認識だけど、東京に戻ってる可能性もなくはない。
(私は完全に他人なので、その辺は正確に把握していない&してたら怖い。)

どこにいても、そのままで、マイペースに生きて、考えて、色々発信してください。
選考が佳境に入った辺りで気付くってのも遅いけど…応援します。

で、口先だけではいけないと思い、人生で初めて、ブロマイドをネット注文してしまった…!!
そろそろ届く予定。
(アイドル応援アプリ「CHEERZ」で応援するというやり方もあるんですが、そっちはよく分からなかったのでアカウント作ってない…。にしても色々考えるなぁ、ミスiD2017実行委員会よ。。)

そして、私が独断で選んだ逸材は、もう二人います。つづく。

2016年9月11日日曜日

ジャケ買い物産館【1】オブセ牛乳焼きドーナツ編

どん。

近所のスーパーのお菓子の棚の下段に、ひっそりと置いてあったお菓子。
白地に赤青の、どことなく小学生の上履きや給食の牛乳パックなんかを思わせる色づかい。可愛いなぁ。
横目で眺めてるだけの日々を経て…ついに。
モノに致しました。合法的にね。

連れ帰って見つめてみる。


買う前は天使だと…思ってたんだけど…羽が…黒い?
妙にリアルなオムツも気になる。
何より顔が…氷の微笑…
まさか人間だったのか、アンタ。

ふふーん
悟り切ったアルカイックスマイル。
この顔のせいで「月に腰かける」っていうファンタジックさが吹っ飛ぶ。

アレか。むしろ新手の涅槃仏か。

ともかく開封して食す。

何を思ったか女子っぽい撮り方(イメージ:ロッタちゃん)

お、味は優しい。
ドーナツと言いつつ、スコーンみたいなボロッとした食感。
牛乳の甘さがふわっと感じられて、素朴な美味しさ◎

食後に袋を手に取ると、あら不思議。
幼児の顔が安らかな寝顔に見えてくる!

以上、オブセ牛乳焼きドーナツでした。
わざわざ信州から食べられに来てくれたのか。ありがとう。

読者の内なるオリーブ少女を覚醒させるショット

つーわけで、食欲の秋、堪能していきましょうね~
(ていうかもう9月中旬か…早い。)

2016年8月28日日曜日

宝塚の凄さ@歌詞翻訳

宝塚・宙組の『エリザベート』を見る機会に恵まれた!!


//////// あらすじ~結末ぼんやり~ ////////

舞台は19世紀のオーストリア。ハプスブルグ家に生まれたエリザベートは、花嫁修行やフランス語の勉強よりも乗馬を習いたいと言って周囲を困らせる、快活な少女。ある日、サーカスごっこと称して綱渡りをしていたエリザベートは、地面に落下し、意識を失う。生死の境をさまようエリザベートの前に現れたのは、黄泉の国の帝王トート。死のくちづけをしようとするトートに、エリザベートは「私を帰して!!」と叫ぶ。生への希望に溢れたエリザベートの目を見たトートは、その美しさに心を奪われてしまう(人外なのに人間への恋愛感情が…!!)。

トートはエリザベートの願いを聞き入れ、異例の措置ではあるが、彼女を地上に帰すことにした。いつか来るであろう、彼女が心から死を求める瞬間、トートへの愛に目覚める瞬間を待ち続けようという決意を胸に…

その後、エリザベートは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、皇后となる。実権を握る皇太后(=姑)のソフィーをはじめ周囲からの重圧に潰されそうになる時期を経て、エリザベートは少しずつ、皇后としてできることを精一杯やろうという自覚を持ち始めた。トートはことあるごとにエリザベートの前に姿を現して誘惑するが、己の生き方を全うしようとするエリザベートはトートを拒絶する。

自分の美貌が武器になると気付き、美容と体型維持に力を入れるエリザベート。オーストリア領だったハンガリーでは彼女の美しさが人々の人気を呼び、エリザベートは自分のやり方で外交に貢献。しかし貧困にあえぐオーストリア国民の間では、王制、そして税金を贅沢な美容法や豪華な服に注ぎ込むエリザベートへの反感が高まっていた。外交で留守がちになったことで子供と過ごす時間も減り、息子ルドルフは寂しさを募らせる。天空からエリザベートを見守るトートは、ハプスブルグ家の時代が終わりつつあると確信していた。

やがて、エリザベートを数々の悲劇が襲う。フランツとのすれ違い、努力するほど離れてゆく国民の心、そしてルドルフとの別れ。彼女の心は、少しずつ死=トートに傾いてゆくのだった…

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というお話です。ファンタジー要素ありの歴史ロマンス、とでも言えばいいんだろうか。

この作品はもともと、オーストリアのウィーン劇場協会オリジナルのミュージカルだった。宝塚歌劇が脚本と歌を日本語に訳しつつ手を加え、初めて上演されたのが20年前。大好評につき再演を重ね、今回の上演は9回目だそう。
主役は宙組トップスターの二人、朝夏まなと(トート役)×実咲凜音(エリザベート役)。

朝夏まなと…衝撃のかっこよさ!!
スラッとした立ち姿+手足長い+気品&キレのある動き+冷酷さと包容力が同居する目元+声ダンディ=2.5次元。
紫メッシュが入った黒ストレートヘアの死神スタイル、美しすぎ。男役を美しく見せるのは、王子様スタイルやスーツだけじゃないんだなぁ…
気付いたら売店でクリアファイル買ってた。

うちの本棚で存在感を振りまくトート閣下(のクリアファイル)
実咲凜音も、無邪気な少女時代から人生に疲れ果てた老女時代までしっかり演じ分けててさすが。娘以外の引き出しもある方なんだろうなぁ。ソロで歌う『私だけに』の美声が神々しかった。

でもそれに匹敵するぐらい印象的だったのが、ミュージカルナンバーの歌詞。
ドイツ語から日本語に訳されたものなのに、最初から日本人が作詞作曲してるんじゃないかと思うぐらい、言葉とメロディーの切れ目が合ってて自然だった。

例:『私が踊る時』(2:00~)

「踊るなら~選んだ相手と~踊りたい時に~好き~な~音楽で~」
ぴったり。

何でこんなところが気になるのかというと、昔ブロードウェイミュージカルの日本版を見て、歌詞に強烈な違和感を覚えたことがあるから。
曲が一番盛り上がって、声を一番大きくするところに、何でそのあんまり大事じゃない言葉持ってくるのかな…。音の切れ目に一つの単語がまたがってて不自然じゃないかな…。あ、翻訳したナンバーだからしょうがないのか…にしても何とかならなかったのかな…歌いにくくないか。客席でずっとそんなことを考えながら見ていた。
キャストのダンスはキレがあったし、声もよく響いてたし、舞台装置とか照明にも工夫があって綺麗だったけど、ひたすら歌詞が気になってしまい、物語の世界に入っていけなかった…(;_;) 劇場出てからも、釈然としない気持ちで(T-T)

この公演は決して、素人や実績のない劇団によるものではない。知名度高い(チケット代も高い)、自前の劇場も持ってる、修学旅行生も見に来る、実力派俳優も排出してる劇団の公演。
厳しい選抜を勝ち抜いたであろう役者さんが全力で歌って踊ってるのに、歌詞が微妙なだけで、今一つ感動できなくなってしまうのか。もったいない…翻訳ももっと頑張ればいいのに…。
確かに歌詞の内容を正しく伝えるのも大事だろうけど、客としては、それよりも音楽と言葉の心地良いリズムを体感したい。それが私がミュージカルに求めてたものなんだよ…!
それ以来、その劇団のミュージカルには一度も行っていない。

だからエリザベートを見て、それが翻訳モノだったと知った時は驚きだった。
翻訳だと気付かないぐらい自然な翻訳。
タカラジェンヌ達も、歌ってて気持ちよかったんじゃないか…
これが宝塚100年の歴史なのか。

潤色・演出の小池修一郎先生、感動をありがとう。

おまけ:本家『私が踊る時』

2016年8月15日月曜日

はじめまして


はじめまして。
水溶きかたくり子です。

土日祝日漂流記、始まります。

今日、月曜だけど…

会社の夏休み中だからほら…祝日みたいな感じってことでここはひとつ…


このブログが何なのかというと

●一眼レフで撮った写真をアップする場
●印象に残ったもの(映画・本・展覧会・ライブパフォーマンス・食べ物 他)について記録する場

です。

四年くらい前に一眼を買い、趣味で写真を撮ってるんですが、撮ったらそれっ放しになってしまうことが結構多い。
人目に触れる場所にアップするという目標があった方が上手くなるんじゃないか、反応も見られていいかな、と思いました。

もう一つの目的は、サブカル全般(映画・音楽・本・展覧会など)、食べ物(パッケージ含む)などに感動したり、おっと思ったことを、検索できる形で残しておくこと。

映画監督やミュージシャンなんかのインタビューを見てると、自分の作品やパフォーマンスがどう受け止められているかネットで検索して、喜んだり傷ついたりしている人が結構いる。
私はSNSも苦手だし、ネット上で何か発信するのは積極的にやってこなかったけど、単に「感動して終わり」だと、作り手に「見たよ」「よかったよ」と伝えることができない、それって残念なことなんじゃないか、と考えるようになった。

どうせ会社員になってもサブカル漁りを止められないわけだから、人に読まれる前提の記録をネット空間に残せば、感動を誰かに伝えたり、作り手に「ちゃんと私なりに受け止めましたよー」というメッセージを送るという形で、心を動かしてくれた人に何か返せるかもしれない。
大したものではなくても何か返せたらいいなーと思ったんです。


そんなわけでこのブログには、私が土日祝日(+たまに有給と会社帰り)に街中・本屋・ツタヤ・スーパー・ネット空間などを漂流して出会った光景やアイテムが、ランダムにアップされてゆく予定です。
まあ書いてるうちに脱線していく予感がしなくもないけど、あくまで最初の方向性はこれで。
会社の愚痴とか、事情を知らない人が読んでもしょうがない個人的なことは、原則書かない。

デコられたパンケーキとかアタシのイチオシコーデとか、ハワイのコンドミニアムでイェーイみたいな画像は登場しない見込み。
「いいね」しなきゃいけないんじゃないか、というプレッシャーを与えない空間にしたいと思ってますんで、構えず、ダラっと見ていただければ。

宜しくお願いします。