2018年8月29日水曜日

二人の上司



6月末、6年半ぐらい勤めた部署から、別の部署に異動した。

これまで、私は客先のメーカーに1人で出向していた。
うちの会社では、出向は決して珍しくない。ただ、基本的に3人とか10人のチーム単位で行くのが普通で、1人だけで行くというのはほとんど前例がなかった。

※ 私が勤めている会社の主な事業は印刷・出版編集なのだが、手掛けているのは機械や工業製品の取扱説明書やデパートの広告・チラシ・デジタルサイネージなどで、本屋に並ぶ本ではない。
こういう事業の性質上、客先に出向・常駐して、現場と自社の橋渡し役みたいな仕事をする社員も一定の数いる。

私が単独で行った背景には、私が行くことで先方との関係ができる→営業しやすくなる→受注増にしたい、という会社の意向があった。
(客先の別の部門からは仕事をもらっていたものの、私が入った部門とは取引がなかったので。)
結局、期待したほど受注が増えなかったので、私は撤退&別の場所に配属されることになった。

会社員生活の中で、6年半という長い期間を1つの空間で過ごしたことがなかったので、この部署での経験を振り返ると感慨深い。
特に印象深かった、配属当時の上司と次の上司について書いておこうと思う。
(書くにあたっては客観的なトーンを心掛け、ただの愚痴にならないように頑張る。)

私が配属された時の上司・S課長は技術者上がりだったので、説明書の制作やテクニカルライティングには疎かった。
形の上では部下を管理する立場にあっても、実際は業務分担、プロジェクトの進め方、その他もろもろの決定を部下に任せるというスタンスだった。
週一のミーティングで部下から進捗状況や協力会社とのやり取りなんかを報告されても、突っ込んだ質問をしたり、問題点を指摘することはほぼなく、悪く言えば部下の言いなりという感じだった。

カラオケが好きな人で、打ち上げや忘年会の二次会は絶対カラオケだった。
歌う曲はほぼサザン。キーの高いところに差し掛かると音程が怪しくなる。
激しく音のズレた「ま~だ~離れたくない~♪」みたいな歌と絶叫のあわいに、大手メーカー中間管理職の悲哀を感じた。しみじみ。

キャリアの長い社員さんにとっては、上司が自分たちのやり方に口を出してこないのは楽だっただろうなーと思う。
しかし私は、もっと管理職としてやるべきことをやってほしいと感じていた。

こだわりの強すぎるベテラン社員が、もう納期が迫ってるのに日本語の原稿に必要以上に修正を入れて英語・多言語版担当者(私たち)の仕事を増やし、翻訳会社に支払うコストを無駄に上げているのに、課長は何もしない。
ヒエラルキー的に上にいる社員の意向で、一部の社員に負担が集中するようなスケジュールが組まれてしまっても、「社員が決めたことだし」というスタンスで傍観する。

一番不満だったのは、定年再雇用のオッサン(年齢は上でも立場としてはパート)が現役社員の指示に従わなかったり、無断欠勤・遅刻をしたりするのに対して、厳しい態度を取らなかったことだ。

過去の説明書の英文を使い回せるところに「表現の改善」という名目で無駄な修正を大量に入れ、チェックの手間と翻訳のコストを増やす。
スペルミスが多い。
自分でやることを増やしておいて、無断欠勤・遅刻をする。「今日は休みます/遅れます」という電話連絡すら寄越さない。
実質パートのくせに、現役社員の指示に対して大声で反論する。
こういう、職場に対してプラスになることをほぼやっていない人間を注意するのが、上司の役目であるはずだ。

しかしS課長にはそれができなかった。
恐らく、立場は自分より下でも年齢が上のオッサンに意見して、衝突するのが嫌だったのだろう。
S課長がそういう態度だから、オッサンも調子に乗った。見ていて腹が立った。
(定年再雇用は「シルバー人材の有効活用」とか言われてるけど、上司が再雇用者をちゃんと監督できないと、現役社員の意識を下げることにしかならないと思う。)

結局S課長にとっては、上司として責任を全うすることより、波風立てずに定年を迎えることの方が大事なんだろうなと思った。

職場以外のところで知り合っていれば、嫌な人とは感じなかっただろう。
サザン熱唱を見るのは楽しいし。
しかし上司としては、尊敬できなかった。
この人は管理職の器じゃない、としか思えなかった。

だが、S課長の定年後に後任として来たB課長は、S課長とは全く違っていた。
技術者上がりである点はS課長と同じでも、「自分は課長としてこの部署を管理する責任がある」という意識がしっかりあった。

必然性を感じられない作業工程や残業申請に対しては「それは本当に必要なの?」と突っ込む。
週一のスケジュール確認ミーティングでも、日程や作業の割り振りに無理があったり、特定の人や制作会社の負担が大きすぎるなどの懸念があれば指摘する。

業務への理解を深めるため、取説や技術系の文章を書く人向けの「TC(テクニカルコミュニケーション)検定」を受験し、2級を取得。
S課長の「どうせ取説のことなんて分からないから…」という諦めとは対照的な、理解しようとする態度にはかなり感動した。
机の上には「伝える力」(池上彰)、「失敗学」などのビジネス書があり、仕事のヒントになる知識を日頃から収集していた。

私たちのような社員ではない出向者とも面談の場を設け、仕事や職場に対して感じていることを率直に話せる環境を作ってくれた(B課長にはカメラや舞台鑑賞などの趣味もあり、雑談も面白かった)。
しかも話を聞いて終わりではなく、問題を解消するために動いてくれた。

一番嬉しかったのは、定年再雇用のオッサンの態度の悪さに対し、ちゃんと注意してくれたことだ。
オッサンが現役社員と口論になった時に間に入り、現役社員の言うことを聞くように言ってくれて、本当に有り難かった。

今までS課長のもとで好きにやっていたベテラン社員にしてみれば、B課長の改革は疎ましかっただろう。
でも私は、B課長のお陰で、かなり仕事がやりやすくなった。

ベテランの人たちが何となく作ってきた見えないルールや、社員同士の中に何となくあるヒエラルキー(とそれに伴う業務分担の不均衡)が、S課長時代には正されなかった。
たとえ傍からは非効率でアンフェアに見えたとしても、「昔からずっとこのやり方です」と言っておけば、S課長はそれ以上追究しない。
でもB課長は「何故そのやり方を続けるべきなのか? 理由をちゃんと説明できないなら変える必要がある」と斬る。
それまで私は出向者として、筋が通ってないなーと思いつつ空気を読んで動かなければならないこともあったが、B課長体制になってからはこういうストレスがかなり減った。

今はもうこの部署を離れた私だが、B課長には本当に感謝している。
業務内容は同じでも、上司によって会社という空間はこんなにも変わるのだと悟った。

ただ、「S課長に比べてB課長が有能」と単純に言い切れない気もしている。
もしかしたらS課長の「空気を読んでみんなと仲良くやる」スキルが、昭和の上司には求められたのかもしれない。
調和よりも筋を通すことを優先するB課長のような人は、一昔前だったら「分かってない上司」と思われてしまった可能性もある。

不景気が20年以上続いて会社がコストの管理に厳しくなる中で、管理職は大らかではいられなくなっているように思う。
無駄な備品を使うなとか、不要な休出&残業はやめろといったような指導を、昔よりも徹底してやらないといけなくなっている印象(バブル入社の社員さんの思い出話を聞いてそう感じた)。
当たり前といえば当たり前だけど、ずっと好景気が続くという幻想の中では、そういう杓子定規さが消えてしまうものらしい。

そして、働き方の多様化も関係がありそうだ。

昭和の職場では恐らく、新卒採用で入った正社員がマジョリティだった(少なくとも私の出向先の大手メーカーのようなところでは)。
新卒採用の時に会社が決めた基準に合う人間しか入ってこない職場であれば、社員が同じ価値観を共有しているという前提のもとに、色々な決定を場の空気に任せたり、上の人間の意向を周囲が上手く察知して計画を進めるみたいなことが可能だったのかなと思う(もちろん納得してない人もいただろうけど)。

しかし立場やバックグラウンドが違う人間(中途採用、派遣社員、育児や介護のために時短で働く社員、定年再雇用…)が入り乱れている今の職場では、管理職は、全員が同じ価値観を共有していないことを前提にして動かなければならない。
中途で入った人や派遣社員などに「見えないルールを察してくれ」と言っても限界がある。
管理職がそれを見える化しなければ、そういう人は動かせない。

新卒で入った正社員しかいない空間でなら「あの人は定年再雇用で権限はないけど、キャリアは長いから厳しいことは言わないであげよう」みたいな感覚が共有できるのかもしれないけど、今の職場で通用するものではないと思う。

こういう変化に対して「昔は大らかでよかった」という声も聞かれたし、「B課長と自分は合わない」と言って異動してしまった人もいる。
でも私は、断固B課長を推すし、S課長のような人が良しとされる職場は嫌だ。
衝突を避けて空気を読み合うより、関係者が自分の意見をオープンに交換してちゃんと衝突できる場がある方が絶対健全だと思う。
嗚呼、昭和で会社員やらずに済んでよかった。