2017年7月17日月曜日

ノーモア、性格美人。



この世からなくすべきなんじゃないか、と思う言葉がある。

「性格美人」。

ポジティブな意味で使われる割に、結果的に誰も幸せにしない言葉だなぁと感じる。

私がこの言葉に出会ったのは、恐らくファッション誌の後ろの方にある読み物ページだった。
読者からの人生相談とかカルチャー紹介に混じって掲載されている「どういう女の子がモテるのか」というテーマの記事の中に出てきた。
明確に覚えてはいないが、「愛される子は、やっぱり性格美人!」「見た目だけじゃダメ。ちゃんと内面も磨いて、性格美人を目指そう!」みたいな文脈で登場していた。

要するに「性格がいい女性」を意味する言葉であり、一見「まあそういう表現もアリかな」という気持ちになってしまう。しかしこのフレーズを覚えてしまい、普段の会話の中で使うと、悲劇の始まりである。

例えば私の友達に、誰に対しても分け隔てなく優しく接し、温厚で気配りができ、常に感謝の心を忘れず、困っている人には迷わず手を差し伸べ、いじめは絶対に許さない、要するに性格のいい女の子がいたとしよう(名前は「清澄白河ちゃん」とする)。
白河ちゃんは本当にいい子だなぁ。心が私のようにドロドロしてなくて、澄み切っている…。
彼女の心の美しさに常々感動している私は、その思いを誰かと分かち合いたいと思い、こう口にした。
「清澄白河ちゃんって、性格美人だよね」

純粋に、性格を褒めたくて発されたこの台詞。
しかし冷静に考えてみると、「性格美人」という言葉が使われたことで、白河ちゃんに対して私が抱いているもう一つの思いがあぶり出されてしまっていることに気付く。

もし白河ちゃんが、佐々木希とか白石麻衣とかトリンドル玲奈レベルの顔面偏差値の子だったら、私はこんな表現をしただろうか。
その場合は恐らく、「清澄白河ちゃんは、美人だし、性格もいいよね」と言っていたのではないか。

「性格が」美人である、とわざわざ言うのは何故か。
恐らく、相手に「美人」と言えるだけの見た目のスペックがないという認識があるからだ。
潜在意識の中にある相手の容姿への評価が、この言葉をセレクトしたことで結果的に表面化してしまう。

「性格美人」は、褒め言葉風でありながら、実際に使ってみると「見た目がいまいちで性格のいい女性」という意味になってしまう恐ろしい言葉だ。
「性格美人になろう!」みたいな形で使われる分には問題ないが、誰かを褒める目的で使われた瞬間に、言われた方は地味に傷つき、言った方も褒めるという目的を果たせない。最悪である。

という訳で、私は「性格美人」という言葉の根絶を密かに願っている(「心のイケメン」に関してもそう)。

ご賛同いただけた皆様。「性格美人」、今後一切、使うのやめましょう。